2008年08月30日
ポーランドからドイツへ嫁入りしたナタリア
ナタリア、今貴方は幸せなんやね!!



彼女は男嫌いかと思っていた......そんな訳無いですよね。
左からフランクフルト市街地公園でベートウベンに巡り合う
ナタリア&ヤツエク・ブーリッシュ夫妻オペラハウス前
オペラハウスではダンシングオールナイトのミュージカルを上演
フランクフルトはヨーロッパ経済の中心、
高くそびえるドイツ銀行ビルと、近くにはEU本部。十字軍遠征の史跡もあるところ。
ハーデンブルグの古城にはドイツ生薬の歴史館があり、薬草から成分を抽出する為の蒸し圧機械が興味深く展示される。
ヤツエクJacekはファーマニスト、植物学者であり、この城の歴代王が薬草から生薬を作って富を得ていた話をしてくれた。


ナタリアの思い出
なぜ、男嫌いって??
高校のときは一緒に来日した幼友達ボイテックが彼女のことを心配して何かと世話を焼こうとするが、けんもほろろ。両親にナタリアのことを頼まれたからこそなのに、無下にされてちょっとボイテック可哀想だったかな?
1997年に私は初めてポーランドを訪ねました。あの翌年再びYE生として行ったメキシコの思い出アルバムを沢山見せてもらった中、かっこ良い男を見つけてしまった私が聞く、彼は誰?
同じポーランドから参加したピーターは、まるでビバリーヒルズ高校生日記のデュランのようなかっこよさ。アカプルコでビキニの女の子が群がっているショットばかりなのに、ナタリアといえば......どこ?にいるの
いました!隅の方に、水着にも着替えず、海にも入らない、ソンブレロを日傘替わりに......。
海辺で泳がないのは相当暑い、どうして泳がなかったの?敬謙なカソリックの彼女は、とても外では水着などと......と言ったのです。
彼女は男嫌いかと思っていた......そんな訳無いですよね。
左からフランクフルト市街地公園でベートウベンに巡り合う
ナタリア&ヤツエク・ブーリッシュ夫妻オペラハウス前
オペラハウスではダンシングオールナイトのミュージカルを上演
フランクフルトはヨーロッパ経済の中心、
高くそびえるドイツ銀行ビルと、近くにはEU本部。十字軍遠征の史跡もあるところ。
ハーデンブルグの古城にはドイツ生薬の歴史館があり、薬草から成分を抽出する為の蒸し圧機械が興味深く展示される。
ヤツエクJacekはファーマニスト、植物学者であり、この城の歴代王が薬草から生薬を作って富を得ていた話をしてくれた。
ナタリアの思い出
なぜ、男嫌いって??
高校のときは一緒に来日した幼友達ボイテックが彼女のことを心配して何かと世話を焼こうとするが、けんもほろろ。両親にナタリアのことを頼まれたからこそなのに、無下にされてちょっとボイテック可哀想だったかな?
1997年に私は初めてポーランドを訪ねました。あの翌年再びYE生として行ったメキシコの思い出アルバムを沢山見せてもらった中、かっこ良い男を見つけてしまった私が聞く、彼は誰?
同じポーランドから参加したピーターは、まるでビバリーヒルズ高校生日記のデュランのようなかっこよさ。アカプルコでビキニの女の子が群がっているショットばかりなのに、ナタリアといえば......どこ?にいるの
いました!隅の方に、水着にも着替えず、海にも入らない、ソンブレロを日傘替わりに......。
海辺で泳がないのは相当暑い、どうして泳がなかったの?敬謙なカソリックの彼女は、とても外では水着などと......と言ったのです。
2008年08月30日
ポーランドからの来日延期、残念ながら来年になりました
ナタリアから知らせが来たのは8月初め、何事!とメールを急いで翻訳........。
写真左から、2006年9月に訪問したナタリアの嫁入先にて
※フランクフルトより北西の郊外、フレンドリッチドルフのアパートで
リリアナ&チェスワフ・マルティス夫妻
ナタリア&ヤツエク・ブーリッシュ夫妻
右端はその時訪れたドイツ-ハーデンブルグの古城です
ポーランドで6日間滞在、ドイツで4日間滞在、両親は車で8時間かけて、ナタリアの新居を案内する為私達の出立後駆けつけてくれました。
チェスワフ・チェシュウ マルティス父子か゜関西空港へ到着の予定は2008年、今年の9月9日の朝でした。
この度の訪問をどんなにか待ち受けていましたが........彼(父チェスワフ)は腸腫瘍の疑いで手術に入り、準備した航空券はキャンセルに付したと娘ナタリアからの手紙でした。
暫く呆然とパソコン画面を見ているのみ、やがてその経過はどうなのか心配になり、すぐに返信で尋ねました。
明日が手術、まだ様子が解らないと翌日にメールが帰ってきてそれから1週間、良い結果を待って、仕事をしていても気もそぞろでした。
1994年にナタリアがYE生として交換留学の為来日、我が家にホームスティしてから10数年たちました。身内とも家族とも思える付き合いをして心の底まで打ち明けられる、そんな仲になっていたから、毎日食事の時も、運転中にも心配が頭をよぎります。
彼の健康回復を祈ることしか出来ません。
もう一度メールが........どうやら手術は無事終わり、この後、抗がん剤治療が始まるとか........
ほっとし、涙が止まらなくて、パソコンの前から離れられなかった長い1日、何度もメールを読み返し、やっぱり来られへんねんナーとキャンセルに未練が残る私でありました。