オオサカジン

  | 茨木市

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Posted by オオサカジン運営事務局  at 

2008年09月21日

2008・9月20日墓参り第2章

宗教、イデオロギーの違いは世界では悲しい戦争の歴史、私は無信論者でありますが、先祖は敬います

真言宗の名刹正歴寺は、萩の寺といわれます。
この墓地に祖父母と父母が骨と成り、眠る
小高い丘の上にも関わらずこの井戸は水が豊富で、
境内のこの井戸から水を貰いお墓を清めます。

お大師像は風雪に耐え、なおにこやかに導きの手を
子供の頃は、この寺が毎年開いて下さる農繁期託児所を手伝ったことも.....。



山陰本線が家の横を通り、枕を揺らす
お寺の下の道、今日は特急白兎はくとに遭遇



左上の写真、綾部高校によって来ました。
由良川の流れと山陰本線の線路にはさまれたところに、実家があります。線路の真横の家です。
昼夜かまわず通る列車はあたりまえ、音も、振動も子守唄のように聞きました。

いつしかSL-ディーゼル-電車-と、走る列車は変わっていきましたが、線路の位置は昔から変わりません。
昭和28年9月25日の13号台風は蛇行した川の流れに勢いをつけて我が家を飲み込みました。
線路を越えて、本宮山の麓まで濁流が上がっていく、そのとき私は6歳、兄、姉とお互いを縄で縛って父母と共に隣のお稲荷さんへ逃げたのです。
大人の膝までは、子供にとって胸までとなり、水につかって逃げたとき私が持たされていたのは祖父母の位牌と写真です。
濡れないように、落とさないように手を上に掲げて逃げた......その時のことを今でも夢に見ます。
そして台風一過、次の日にはもう日本海へ通り抜けていたそうですが、誰一人命を失うことなく、ケガをすることなく、家は流れて行ったけど、皆んな無事でした。只おかしかったのが、コールタールが水にこぼれて浮いていた、そこを通って逃げたものだから、皆んな顔も手足もコールタールだらけ、
泣き叫びアセアセこすれば黒い油がなお顔に広がる、子供の私は皆んながおかしくて笑っているのが嬉しくて......。

この思い出を語るときは今も涙、涙が出ます。そしておかしくて笑います。
その爪跡も今はなく、長兄が僅かな野菜と花を植えています。
道路をはさんで道の上の屋敷が助かり、そこに長い間かかって家を再建しましたが、水の猛威には一番弱い、上流に大野ダムと和知ダムは出来ているけれど、やはり増水も防げません。
しかしいかがでしょう!この川の美しさは、他にたとえようがない、私の城下町に歌われる情景がぴったりなんですよ。


  


Posted by 西岡専務  at 16:06Comments(0)旅日記

2008年09月21日

お彼岸に故郷へ帰る

近舞道路を一路北へ、三和、長田野を過ぎて私市のトンネルの上には円山古墳が
その昔、由良川をさかのぼり大陸文化が伝わった。



2008・9月20日(土)お彼岸の入りです。
突然の誘いは社長(主人)から........。
福知山まで現場を見に行くのに一緒に行かへんか....。
 昨夜は遅かったし、用事はたまっているし、今日は徹底掃除と畑の草引きの日、と決めていましたが、行くことに。
隣の綾部が私の出身地なのです。1年に1度くらいは墓参りを実行するべしと心は決まりました。
ふるさと紹介とともに1日の旅日記、誰が書いたか墓守娘がベストセラーですって?週間ブックレビューで取り上げられてた。
今回、家のお墓の話も含めてお届けします。

最初に福知山へ




新幹線新幹線新幹線京都から北へ国道9号線、27号線、今は中国道吉川の手前から近畿舞鶴道と高速道路をたどって行きます。鳥取、島根へと続く大名行列、参勤交代の道が昔の山陰道で、日本海へそそぐ由良川に沿い、下って行きます。そこに私のふるさと、綾部があります。

綾部、福知山は丹波の山中、盆地になった地形が自然の要崖となり、由良川の交通要所となり、戦国の頃には福知山には明智光秀の居城が築かれるのです。(今は観光城が城跡に再建され、美術館として愛されています)



キョロキョロ織田信長に仕えた明智光秀は、亀岡(当時亀山)から綾部、福知山までの丹波の国を与えられ、緻密な商才で福知山は商業が発展、近郊近在から市場へと物資が集まる賑やかな町に。

ちっ、ちっ、ちっ地元には良きお殿様としての歴史を残すのですが、ご存知の通り本能寺の変では主君信長へと反旗を翻した謀反人となっているところが、地元の人にはどう捉えられているのでしょうか。

C11-40号


JR福知山駅裏の土地が駅前開発に供される、元操車場であったところの現場。

大型スポーツ用品店の新築工事現場にて防水工事の打ち合わせの時間を取ります。すでにロータリーは綺麗に整備され、感動のSL陳列には驚かされました。予期せぬご褒美のようなモニュメントを見た感じです。クリックにて大きく写真をご覧下さい。

転車台(方向、向きを変える為の回転線路)を半分に切り、その上に陳列されたC11-40号は綺麗にペイントされてまるで新品。彼が走った時代を紹介されながら、日々駅前に君臨します。

福知山は大阪から出る福知山線が山陰本線と合流するところ、北側の綾部からは宮津線が舞鶴、橋立、日本海へ向かって分岐して行く、昭和の時代に枕元でSLの汽笛を聞いた私は、その日により鳴き声とも、泣き声とも聞こえた日のことを思い出します

10月に入れば取り掛かる、現場


墓守娘の話
 少子化の影響で、1人娘、2人娘の家は多い。
現に我が家も2人娘である。
親の墓守は誰がする、息子がいれば息子がする? いいえ今は
娘にその仕事がゆだねられるらしくて........これがベストセラーのさわり。
我が家でもその話をしたことがある。
娘のほうから出た話であるが、徳島の山の中の墓に納まってしまったら
誰が墓参りに行くの?......私は無理よ!という話である。
少し侘しいが、そんな将来のことは考えられない、まだ前の世代の墓守
に責任を持たねばならない立場だから。
自分達の墓が山の中に苔むし、朽ちたとしても、それはそれで良し。
今現実に生きている事が大事。

長姉に会い、長兄一家に会い、今年の墓参りは納得
ではこの続きを第2章で.....。





  


Posted by 西岡専務  at 10:44Comments(0)旅日記



illustration by workship K